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自我は裁判長!


裁判長!それではそろそろ判決をお願いします。

うむ・・被告は、私が取り決めた“観念”という法律に背いた。
その罪は非常に重いぞ。よって、おまえを終身刑に処す。
何か異議があれば言ってみるがいい。

 あのお・・とても理解しにくいのですが、
 あなたは“私”ですよね。
 なのに、あなたはなぜ私を裁こうとするのですか?

ワッハッハ、なぜだと?
それは、わたしが“ルール”だからだ。
ルールに背いた奴は、大統領でも、自分でも構わず裁く!
それがわたしの最も基本的なルールなのだ。

 そ、そんな・・

もう異議はないようだな。
おまえは、牢屋の中でわたしの書いた「観念全書」を
読みながら一生を過ごすがよい。

以上、閉廷。


うーん、恐ろしいですね~
でも、同じようなドラマがあなたの中で実際に起こって
いることにお気づきでしょうか。

「社会には法律やモラルという基準がありますよね。
  もしすべての観念がなくなったら、自分は一体何を基準に
  生きていけば良いのでしょうか?」

このような質問メールをよくいただきます。


自我は“観念”(思い込み)が集まってできた人格です。

「良い・悪い」「正・邪」「損・得」「優・劣」など
“観念”は、二極のルールです。

自我はこれら“観念”を基準に行動します。

自我が賞賛するのは、いつも二極の片側です。
良い、正しい、得する、勝つ、優秀、幸福、美しい・・

そうであれば、大満足。
もしそれに背くようだったら、他人はおろか、自分でさえも
許してはくれません。

でもちょっと考えてみてください。

この世界にあるものは「すべて相対する二極で1セット」
片側だけに寄る振り子がないように、片方の極だけを
体験することは絶対に不可能です。

良いを知るには、必ず悪いを体験しなければならないように
なっているんですね。

だから、自我は最初から不可能なことをやっていると
いうわけです。

もうお気づきだと思います。

自我の目的は「幸せ」ではないんですね。
もしそうであれば、自分を裁くはずはありません。

「もしすべての観念がなくなったら、自分は一体何を
  基準に生きていけば良いのでしょうか?」

ここでいう自分は“自我”のことなんですね。
自我の本当の目的は「ルールを守る」こと。

ですから、ルールである“観念”をすべて手放すと
自我はもう生きてはいけません。

その瞬間に自我を満たす人生は、ジ・エンドです。

おわりは、はじまり・・
ここから「本当の自分」のリアルな人生がはじまります。

自我から解放されると、あなたの人生のシナリオが動き出します。

観念を基準にしているために、出会えなかった人に出会い
確率的にはありえない不思議な出来事が次々と起こり始めます。

すごい!私の人生ってこんなにドラマティックだったんだ!

白黒テレビがハイビジョンテレビに切り替わったように
問題が消え去り、リアリティ溢れる人生に一変します。

“基準”を変えれば、すべてが変わります。

ちょっぴり勇気を出して、あなたも牢屋で「観念全書」を
読む人生から脱出してみませんか?


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